白井京月の読書ノート

2009年から2014年の読書メモ

カルヴィーノの文学講義

カルヴィーノの文学講義―新たな千年紀のための六つのメモ

カルヴィーノの文学講義―新たな千年紀のための六つのメモ

レ・コスミコミケ」や「冬の夜ひとりの旅人が」などで有名なイタリアの国民的作家、イタロ・カルヴィーノが1984年にハーヴァード大学で講義をした時の草稿が本書だ。「新たな千年紀のための六つのメモ」。これがカルヴィーノのつけたタイトルだった。この六つとは、「軽さ」「速さ」「正確さ」「視覚性」「多様性」「一貫性」である。
カルヴィーノは本書で、次の千年紀に伝えたい価値の一つとして「精神の秩序と正確さへの嗜みを心得ている文学、詩と同時に秩序と哲学を理解する力を備えた文学」をあげる。ここで、例として示されるのはヴァレリーでありボルヘスだ。また、ヒトは言葉という病を背負った動物でもある。そこでカルヴィーノは、文学だけが、言葉の病気の蔓延を阻止できる抗体を生みだすことのできるものなのだと指摘し、文学の世界における役割を明確にする。また、自身が行ったタロットの象徴体系の研究、人類学、民族学、神話学研究による知見などが次々と示される。本書を読むと、文学というものが、いかに計算されつくされた技術から生まれているかが分かる。
カルヴィーノの示す「軽さの指標」とは、一つには言葉の軽さであり、二つ目には「繊細で知覚し難い要素が作用する心理的過程の叙述や、高度な抽象化」であり、三つ目には「象徴的な価値を帯びるような、軽さの表象的なイメージ」である。そして、なぜ軽さなのかが明確に示される。
速さ(Quickness)に関する説明は圧巻だ。メリクリウスの同調性と、ウルカーヌスの向上心という対立するものが、いかにして補完するものへと変容するのか。その熟成の時間と、完成の瞬間という二つの異なる時間を作家は扱うと言う。
正確さ、そこではカルヴィーノ幾何学的な形態や、シンメトリー、級数、組み合わせ、比例といったものに対する自身の偏愛までもが語られる。視覚性で重要なことは、逆説的だが「感覚的な経験の抽象化・凝縮・内面化の過程」なのだという。多様性とは、多元的なテクスト、すなわち自我という単一性に代わって、主体や、声や、世界に注がれる眼差しの多様性のことだ。多声的と言っても良いだろう。
文学とは生きるという行為であるとともに、技術(アート)である。世界は今、文学を切実に求めている。それにしても、小説家でタロットを利用している人は多いようだ。大塚英志もまた「物語の体操」の中で、タロットを使ったプロットの組み立てを勧めている。タロットは単なる占いの道具ではない。絵を読むこと。象徴体系を深く理解すること。それはきっと、人生をより豊かにすることだろう。