白井京月の読書ノート

2009年から2014年の読書メモ

都市のイコノロジー

都市のイコノロジー―人間の空間

都市のイコノロジー―人間の空間

美術史家、若桑みどりが1987年から1990年にかけて「現代思想」に連載したエッセイを中心に構成された本だ。イコノロジー(図像解釈学)とは、図像学よりも深く、その深層にある歴史意識や精神文化などを研究する学問を言う。本書のテーマは「目に見えるものの復権」にある。建築や彫刻、絵画や演劇、映画といった視覚芸術と同様に、都市もまた「生きた劇場」であり、目に見える文化だ。それは、時代を象徴するもっとも意味深いテキストなのだと若桑は見る。そして、目に見えるものに価値をあたえようとする行為は、芸術を超えて生の創造なのだと言う。
ある講演で、若桑は次のように切り出している。

いきいきとした感覚と身体をもつ人間にとって、現代の建築と都市空間はきわめて耐えがたいものに思われる。(p.196)

この感覚は、現代にもあるのだろうか? あれから数十年の間に、都市空間は、建築は、どのような変貌を遂げたのだろうか。あの頃の居心地の悪さは、いまや、パソコンのディスプレイの中へと閉じ込められていないだろうか。相対的に都市が矮小化し、バーチャルな視覚が意識を形成するという新しい時代が訪れた。その中で「生きた劇場=都市」は、どう変わったのだろうか。人間的空間。若桑にとってのそれは、高度な科学技術による快適性といったものを意味しない。あるのは、ルネサンス思想の精髄である「自然が秩序をなしている」ということだった。

科学的宇宙観がどれほどの広漠たる空間の理念を我々に与えたとしても、我々の1.5メートルから1.9メートルの身体スケールは変わらない。たとえこの広大な空間の中で、人間が点であるとしても、それは常に我々にとって一つの中心であり、我々はこの微小な一点から、再び空間をつつみこむ作業をしなければならない。この徒労の予想される作業の中で、我々を助けてくれるのものは、世界と我々の身体との具合よき比例中項となる建築的空間をおいてほかにない。人間的尺度は常に可能であり、また可能としなければならない。この尺度を主張することによってのみ、人間の存在は世界の中で平和と調和を感ずることができるのである。(p.261)

では、現代のこの「リアル・バーチャリティの時代」をどう考えれば良いのだろう。それは人間的身体からの疎外、あるいは離脱ないし離陸なのか。それは、進歩なのか病理なのか。久しぶりに本書を手にとり、いろいろな思い出が交錯するとともに、考えさせられる点が多かった。視覚は、意識をどう変えるのか。ICTばかりが脚光を浴びる時代だが、それ故に、都市空間にも強いスポットを当ててみたい。
標題にした「ゆっくり急げ」は、中世に多くの人に好まれた、錨にイルカがまつわりついたエンブレムが意味するモットーである。個々人のライフスタイルを主張するエンブレムは、個人の尊厳や美徳が高く評価されるようになった近世においては一般的なものだった。
スピードは大切だ。ただし、それは正しい方向に向かっている場合に限られる。故に、急ぐときには、ゆっくりでなければならない。