白井京月の読書ノート

2009年から2014年の読書メモ

スラム化する日本経済

スラム化する日本経済 4分極化する労働者たち (講談社+α新書)

スラム化する日本経済 4分極化する労働者たち (講談社+α新書)

■第3次グローバル化
筆者、浜矩子は、現代のグローバル化を、ローマ帝国時代、大航海時代に次ぐ、3度目のグローバル化だという。ただ、今回のグローバル化が過去のグローバル化と異なる点は、それが「地球を小さくする」グローバル化だという点にある。ローマ帝国の時代も、大航海の時代も、地平線が広がるグローバル化だった。しかし、今回は違う。IT化などの技術革新は地球を狭くしたのである。この点については昔、クルーグマンも指摘していた。それは経済学という閉じた世界と、経営という開いた世界を同一視する愚かさを嘆いたものだった。クルーグマンは、政府の経済政策に経営の専門家を呼ぶことに反対だったのだ。狭くなった地球では、「自分さえよければ」という理論では誰も生き残れなくなるということに気がつかなければいけない。浜は本書の中で「自分さえ良ければ病」という独自の、そして遠まわしの言葉を多様する。そして「自分さえ良ければ病」が個人にとっては合理的な選択であっても、それは「合成の誤謬」に陥るだけであると説く。
■第4段階の資本主義
第一段階の資本主義とは「資本家/労働者」という形であったと浜は言う。それが、第2段階では「資本家/経営者/労働者」となり、さらに「投資ファンド」という擬似資本家が登場して「資本家/擬似資本家/経営者/労働者」という第3段階の資本主義が登場する。これを「ファンド資本主義」と呼ぶ。さらに第4段階がある。SWF(政府系ファンド)の巨大化だ。2008年9月15日の「リーマン・ショック」の総括すら出来ていない中で、ファンド資本主義は、また大きく変貌しつつあるのが現状だ。そして、それがどのような経済的、政治的リスクを持つのか。今は誰にも分からない。
■4極化する労働者
労働者の4極化とは、正規労働者、非正規労働者外国人労働者、そして労働者になりたくてもなれない人を言う。「労働」対「労働」という構図が出来上がっているのだ。因みに、2006年時点での外国人労働者の数は75万5000人。不法残留者を含めると92万人になるという。そして、本書を読んでわかる事は、ワーキング・プアが自然発生したのではなく、経済上の必要から作られた存在であるということだ。なぜ、ワーキング・プアが必要なのか。新富裕層も、旧富裕層も、彼らの存在を前提にしなくては成り立たなくなっている。ワーキング・プアの問題は個人の資質や職業訓練などの問題ではなく、経済構造の問題だと考えなければなるまい。
■新・資本主義における理念
第3次グローバル化が進展し、第4段階の資本主義に突入した現在、すでに既存の経済学は力を持ちえないのではないのか。私は、本書を読んでそんな思いを強くした。もっとも、私の言う経済学は、ミクロ、マクロといった狭義の経済学に留まらない。経済思想、実態経済(含む、政治、文化)、経済統計、経済政策といった分野が相互に関連しているのが経済学だ。浜は言う。「21世紀の資本主義は極めて軸の定まらないものに変質した」(P.107)、と。確かにその通りだ。浜は、グローバル資本主義に対する反動としての、グローバル社会主義、さらにはグローバル全体主義をも警戒する。もちろん、経済ナショナリズムにも反対する。そして、理念もビジョンも、こだわりもない、目先の収益主義を批判するのだが、残念なことに、自らが理念やビジョンを示すには至っていない。その意味で本書は、現状分析と現状批判の書と言えるだろう。
この評価は、決してネガティブなものではない。理念やヴィジョンなど、そう簡単に描けるものではないのだし、現状を正しく分析し、認識することは極めて重要なのだ。私たちに必要なのは、経済政策よりも、その背後にある理念をきっちりと見る眼を持つことだ。景気が良くなればすべてが解決するなどという安易な思い込みは命取りになるだろう。
混沌の時代は当分続く。もしかしたら、私たちに必要なのは、新しい理念ではなく、間違った理念に騙されない智慧なのかもしれない。