これから「正義」の話をしよう
これからの「正義」の話をしよう――いまを生き延びるための哲学
- 作者: マイケル・サンデル,Michael J. Sandel,鬼澤忍
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2010/05/22
- メディア: 単行本
- 購入: 483人 クリック: 15,840回
- この商品を含むブログ (581件) を見る
今年の5月に刊行された「これから正義の話をしよう」は、NHKのハーバード白熱教室(全12回)で放映されたこともあってだだろう、7月までで22万部という売上を記録している。筆者は、マイケル・サンデル氏。1953年生まれで、専門は政治哲学だ。
簡単に言ってしまうと、この本は、コミュニタリアニズム(共同体主義)からの「正義」の主張であり、この立場に立っての論考だ。まず始めにに、有名な道徳的ジレンマに関する寓話や、現実の例がいくつも示される。これらの問題を哲学的に考えてみようという呼びかけが本書の狙いだと言えるだろう。しかし、私は、この種の道徳的なジレンマに真理なり秩序があると考えるのは神学者か形而上学者のすることであって、知識人のすることではないと考える。私はリベラルな立場であることを自覚しているが、なぜリベラルなのか、という事について説明する必要が無いどころか、説明など出来なくて良いと考えているのだ。これは、シュンペーターと同じくである。
現代の政治哲学に関する最近の記事では、「週刊東洋経済(2010/8/14-21合併号)」の特集が秀逸で明快だった。サンデル氏の著書を読む前に、前提となる基礎知識として、この程度の問題は理解しておく必要がある。同記事の図解が特に面白い。せっかくなので、簡単に4つの立場を簡単に整理しておこう。
1)リバタリアニズム(自由至上主義) 政治的自由度(高) 経済的自由度(高) 図では右上
2)コンサバティズム(保守主義) 政治的自由度(低) 経済的自由度(高) 図では右下
3)コミュニタリアニズム(共同体主義) 政治的自由度(低) 経済的自由度(低) 図では左下
4)リベラリズム(自由主義) 政治的自由度(高) 経済的自由度(低) 図では左上
記事では、2軸の座標で示されているが、面白いのは最近の政権との推移が、小泉政権(リバタリアニズム)、安倍、福田、麻生政権(コンサバティズム)、鳩山政権(コミュニタリアリズム)、菅政権(リベラリズム)と時計回りに旋回しているという認識だ。この認識が正しいとして、問題は国民はその事実を正しく理解しているのかどうかだろう。
この4つの立場は、それぞれ対角線上が相性が悪い。つまり、自由主義は、自由至上主義と共同体主義には一定の理解を示せても、保守主義には歩みよることが出来ない。逆も同じで、保守主義はリベラリズムに歩みよれない。また、自由至上主義と共同体主義の関係も同様だ。
自由至上主義者(多くは実力主義世界での勝ち組だろう)は、手厚い福祉を要求する共同体主義を甘いと批判する。
保守主義者(多くは既得権益者だろう)は、既存の制度を揺るがすリベラルを脅威に感じ、伝統という刀で切りつける。
サンデル氏のこの本は、「コミュニタリアニズムの存在証明」であるとともに、痛烈なリバタリアニズム批判だ。サンデル氏の結論を簡単に言えば「正義には美徳を涵養すること及び共通善について判断することが含まれる」ということである。嗚呼。今は亡きローティ氏の嘆きが聞こえるのは私だけかだろうか。
最後に、デリダの発言を孫引きしておこう。
デリダによれば、どういう政治形態も正義を具体化しようと試みることはできず、また試みるべきでもない。そして正義の決定不可能性はつねに公的領域の外部にとどまって、その領域を導き、批判し脱構築しなければならないが、決してその領域の内部に具体化されることはない。(「脱構築とプラグマティズム」シャルタン・ムフ編、青木隆嘉訳、岩波書店、p.688(サイモン・クリッチーニ)