白井京月の読書ノート

2009年から2014年の読書メモ

人間の本性を考える(上・中・下)

人間の本性を考える  ~心は「空白の石版」か (上) (NHKブックス)

人間の本性を考える ~心は「空白の石版」か (上) (NHKブックス)

スティーブン・ピンカーによるセンセーショナルな書物である。副題は「心は『空白の石版』か」となっているが、これでは本書の意図がいま一つ伝わらない。空白の石版(ブランク・スレート)。それは「人間の心」が、生まれ(遺伝子)ではなく、育ち(環境)によって書き込まれるとする人文・社会系科学の教義のことだ。もちろん、遺伝子の影響は無視できない。しかし、重要なのは環境だと考えるのが一般的なブランク・スレート説だ。そして、これに異議を唱えることはタブーなのだとピンカーは言う。筆者はこのタブーに挑み、膨大な資料を提示して、遺伝子と文化の関係について論じる。
まず、ブランク・スレート信仰がアカデミズムを席巻した歴史をたどり、文化本質主義を徹底的に批判する。そこでは、遺伝子と人格特性の問題も取り上げられる。例えば、パーソナリティの5つの主要因子は「内向的/外交的」「神経質/安定的」「経験に対して開放的/閉鎖的」「調和的/敵対的」「きまじめ/無頓着」というようにだ。進化心理学の出す答はある意味で残酷だ。それは、貧困や社会的不備がなくとも、対立、レイプ、復讐といった暴力性が人間の本性として存在することを証明してしまう。もっとも、ここで誤解しないで欲しいことは、ピンカーはそれが良いとは言っているのではないということだ。
ドーキンスの「利己的な遺伝子」(1976)についての言及もある。ご存じの通り、ドーキンスは激しい攻撃にあう。それには二つの理由があるとピンカーは言う。一つは「ブランク・スレート」が教義となっていること。もうひとつは、思索家たちが自らの善悪の決め方にとらわれてしまっていることだとだ。そして、ピンカーはそれを怠惰な議論だと批難する。
中巻での議論は、不平等、不道徳、無責任、ニヒリズムといった哲学的領域を網羅する。さらに、相対主義、直観、苦しみ、道徳感覚といったテーマを深く掘り下げる。下巻では、イデオロギー、暴力、ジェンダー、子育て、さらには芸術について論じられる。ピンカーの説では、イデオロギーが保守的かリベラルかも、遺伝子レベルである程度決定されているのだと言う。
本書の内容はあまりにも深く、私は読み終えるのに半年を要した。それにしても、ピンカーがここまで精力的に「ブランク・スレート」に抵抗する理由が何なのか、おそらく日本人には分かりにくいだろう。これには、アメリカという国の特殊な事情がある。

アメリカではいまだに、このユダヤキリスト教の考えかたが、もっとも一般的な人間本性論である。最近の世論調査によれば、アメリカでは聖書の創世記を信じている人が76パーセント、聖書に書かれている奇跡は実際にあったという人が79パーセント、天使や悪魔やそのほかの無形の存在を信じている人が76%・・・(中略)、ダーウィンの進化理論が地球上の人間の起源をもっともよく説明すると考えている人は15パーセントしかいない。(p.24)

私は、この数字を見て眩暈がした。