白井京月の読書ノート

2009年から2014年の読書メモ

没落のすすめ

没落のすすめ―「英国病」讃歌 (講談社現代新書 526)

没落のすすめ―「英国病」讃歌 (講談社現代新書 526)

昭和53年の本の書評を書こうというのだから、私は変人かもしれない。本書は、ミケシュの"HOW TO BE DECADENT"の全訳であり、英国病といわれた当時の英国および英国人を描いたユーモアたっぷりのエッセイ集である。何とも、没落の時こそが、エレガントでカッコイイと考えるのが英国流なのだ。どこまでも英国流を貫くこと。表現は常に控えめで、お行儀が良く、上機嫌で寛容で、おとなしい英国人。なんとなく、今の日本人と正反対のような、そんな思いを胸に本書を読み返した。

英国病の時代にも、今の日本と同じく大量の頭脳流出があった。もっとも、ミケシュに言わせると、頭脳を持たない人も大量に流出したらしい。(笑)また世代の断絶という問題も、今の日本と似ている。ミケシュは、こんな事も書いている。

英国のいわゆる常識人(コモン・マン)というのは徐々に姿を消して、超モダンな変種、実用的人間(ユーティリティ・マン)が幅をきかせている。(中略)
まず、実用的人間は考えることをしなくていい。これは気楽な生き方である。昔は、新聞にはあなたはあなたの意見を書いたものだが、今日では、あなたはあなたの意見を新聞で読むのだ。毎日の新聞から一般市民は自分の意見をピックアップし、本当の意味で知的に独立した人間はといえば、週刊誌から要領よく情報をキャッチする。文盲問題は完全に解決されたものの、本の読み方を知っている者はほとんどいない。だけど、テレビのスイッチの入れ方は三歳の子でも知っている。(p.159−160)

日本でも、リベラル・アーツがおろそかにされる傾向は戦後一貫していたのではなかったか。もはや、常識人(コモン・マン)の常識は常識では無くなってしまった、と言っては言い過ぎだろうか。昭和53年と言えば、約30年前である。この、講談社現代新書のカバーには「文明がすすめば、すすむほど、心の病は進行する」と書かれている。ならば、私たちは、時に文明に背を向けるべきなのか、あるいは心の病の増加を文明の進歩の証左として礼賛するべきなのか。もっとも、その後、英国は「英国病」を克服する。一方で現在の日本に充満する不安感は「日本病」とも呼べる社会心理状態かと思われる。その姿は、英国の没落のようにエレガントでも優雅でもなく、ドタバタしていて、みっともない。どう見ても、カッコワルイのだ。どうせ衰退するならば、ジタバタせずに紳士淑女でいようというのは、無理な話なのだろうか?