白井京月の読書ノート

2009年から2014年の読書メモ

自然と文明の想像力

自然と文明の想像力

自然と文明の想像力

入手困難な本を紹介して恐縮だが、今ならアマゾンで中古が入手可能なようだ。山口昌男氏と言えば文化人類学の巨人として有名だ。最近では、「学問の春」(平凡社新書)が売れている。本書は、1993年の著作である。全体は2部構成になっており、第1部が「自然の想像力」、第2部が「音の想像力」である。そして、その中に四つの「対話」が挿入されている。
 1.千宗守vs山口昌男 「花・霊性・自然観」
 2.H.ブルチョワvs山口昌男 「自然空間と文学の普遍性」
 3.M.シェーファーvs山口昌男 「音楽と土地の精霊」
 4.J.ケージvs山口昌男 「音楽、人生、そして友人たち」
本書の表紙には、こう謳われている。「人間の想像力を起動させ、環境及び自然をダイナミックに捉え直すモデルを作り出す作業が、今こそ必要ではないのか。」この一文は、現在にも当てはまる。
この4つの対話の中で印象深かったのが、音楽家ジョン・ケージとの対話だ。少し長くなるが、この中の「教育とは何か?」を一部引用する。

ケージ ええ。日本ではどうなっているのか知りませんが、私が関係を持っている数少ない教育システムから受けた印象は、皆とても保守的になっているということです。保守的とは、つまり皆が職を持ちたいと思っているということです。とてもおかしいことなのです。少しでも考えてみれば技術の進歩で雇用は減少する傾向にあり、雇用の必要が減っていることは、わかるはずです。現在の芸術の最も有益な点は、雇用されていない状態も可能であることを示している点です。発明家もやはり雇用はいりません。
山口 芸術には失業の大伝統がある(笑)。
ケージ 確かに他人に雇用されてはいませんが、自己雇用をしているのです。
山口 そうだとすれば、我々は失業の可能性について考えをめぐらさなければならない。
ケージ そして自分が本当にやりたいことは何かを考えることです。そしてマーガレット・ミードに従うならば、そうと望むなら気を変えることです。(笑)
山口 となると大学に芸術学科があって音楽などが教えられているというのは皮肉な話ですが、皮肉も成立しない、つまり、普通の大学に芸術学部というのが存在しない日本の国立大学のような例もあります。
ケージ 現在は設置されていないのですか。このことはソースティン・ヴェブレンが指摘していましたが。彼の作品はご存じですか。
山口 『有閑階級の理論』などを大分以前に読みました。
ケージ 彼は、芸術に大学はふさわしくないと言っています。大学に芸術があるというのは、デカダンスのしるしだと。
(後略、P.247〜248)

ケージが指摘した通り、私たちはポスト雇用主義の時代を迎えようとしているのだろう。本書は、他にも「文化としての農業」や、「地球環境論のパラダイム転換」、「騒音の記号学」など、極めて重要かつ示唆に富んだ論考が満載されているので、興味のある方は入手されて損は無いと思う。
最後に、対話の4氏と山口氏の略歴を記しておく。
・千 宗守(せんそうしゅ)
 1945年、京都生まれ。慶應義塾大学大学院修了。1989年、第14代武者小路千家家元を襲名。
・H・E・ブルチョア
 1939年、スイス生まれ。パリ大学(ソルボンヌ)卒業後、早稲田大学にて日本近代文学を学ぶ。
・R・M・シェーファー
 1933年、カナダ生まれ。トロント王位音楽院で作曲を学ぶ。
ジョン・ケージ
 1912年、アメリカ生まれ。シェーンベルク、カウエルに作曲を学ぶかたわら、インド哲学、中国思想などにも関心を持ち、独自の音楽世界を確立したことで有名。
山口昌男
 1931年、北海道生まれ。文化人類学者。元札幌大学学長。東京外国語大学名誉教授。