白井京月の読書ノート

2009年から2014年の読書メモ

ふがいない僕は空を見た

ふがいない僕は空を見た

ふがいない僕は空を見た

ナンパされ、主婦と不倫を続ける高校生の斉藤。コスプレを強要された変態的なセックス。精緻な性描写も生々しく上出来だ。そして、斉藤は本当にこの主婦に恋をする。「ミクマリ」これだけならば「女による女のためのR−18文学書」受賞で終わっていたかもしれない。しかし、ここからの作品が凄い。
「世界ヲ覆フ蜘蛛の糸」での私は「ミマクリ」で不倫をしていた主婦だ。ここでは「性」ではなく、旦那とその母、そして主婦の成育歴などが語られる。これは今の日本社会を上手く映し出している。心を打たれるとともに、考えさせる問題を含んでいる。
「2035年のオーガスム」は、斉藤に思いを寄せている同じ高校の松永が主人公だ。優等生の兄がおかしな失踪をし、不思議な、それでいて暖かい家族が優しい眼で描かれている。ここで起こるいろいろな事件も今の日本社会を上手く映し出す。
セイタカアワダチソウの空」は社会派の作品とも読める。団地=貧困、差別という図式は私には無かったのだが、こういう見方は恐らく世間では常識に属するのだろう。主人公は斉藤の同級生の福田。彼は生活のためにコンビニでバイトしている。団地では父方の祖母との二人住まい。母は近くのアパートで父ではない男性と暮らしている。福田はコンビニで田岡という20代後半の元塾講師の同じアルバイトと出会い、勉強を教えてもらうようになる。ここで、いろいろな事件が起こるのだ。それにしても、貧困層というのはつまらないことで足を引っ張っりあっている人達なのだろうか。恥ずかしながら、私はそういう世界を知らないのだ。頻繁に事件が起きて、ドタバタする日常。もしかしたら、それは楽しいことのなのかもしれない。少なくとも退屈よりは、などと書いたらきっと嫌われるに違いない。(と言いながら書いてしまったが)
「花粉・受粉」は書き下ろしだ。主人公は助産院を経営する斉藤の母。もちろん助産師でもある。この作品は哲学的に深い。離婚した元夫に会った後で「私は、息子から父親を奪って、彼からは人としての無邪気さを奪ったのだ」と自分を責める。ここまで自分を突き放して考えられる女性がいるだろうか。この一文には、作者窪美澄氏の凄味を感じる。経歴を見ると1965年生まれ。ライターなど色々な仕事をされているようだが、そこらへんの知識人よりも遥かに高い次元で生きておられるようだ。私はこういう知性を無条件に尊敬する。知性だけではない。窪氏には愛や正義についてのしっかりとした羅針盤がある。この作品のそれぞれの主人公にも、それぞれの羅針盤がある。それがこの作品を支え、また登場人物を愛しい存在にしているということは間違いない。
この名作は一人でも多くの人に読まれるべきものだと思う。特に、翻訳版を出して海外の人びとに読んでもらいたい。今後、窪氏がどういう活動をされるのか分からないが、新しい作品も絶対に期待を裏切らないだろうと確信する。超大型新人、日本のエース、とまで持ち上げておきたい。