白井京月の読書ノート

2009年から2014年の読書メモ

賢い血

賢い血 (ちくま文庫)

賢い血 (ちくま文庫)

フラナリー・オコナー(1925−1964)。「賢い血」は作者自身が熱意によって書いたと言うだけあって、実に熱い作品だ。
主人公のヘイゼルは戦争から帰ると自動車を買い説教師になる。「キリストのいない教会」。しかし、聴衆はいない。逆にヘイズを利用して儲けようとする人も現れる。ヘイゼルは救済などいらないと主張する。救済されるべきものなど無いからだ。ヘイゼルはキリストを否定する。そして、内面に神を持たない人間としてのキリストを望む。この作品は、カトリック教徒であるオコナーによるキリスト教批判なのだろうか。
物語前半のヘイゼルは説教師としての意欲に満ちている。しかし、警察に自動車を崖の下に落とされる。そこからのヘイゼルの物語をどう読めば良いのか、私にはわからない。何度も繰り返し頁を開いたが、作者の意図が読めない。いや、いろいろな解釈が可能で、どれが正しいのかがわからない。
オコナーは神のみを信じ、キリストも教会も否定しているように思える。しかし、ヘイゼルは最後にはキリストに従っているようにも読める。何がヘイゼルを絶望させたのか。なぜ、ヘイゼルは変わったのか。理解するには難解な小説だが、読み物としての面白さは十分だ。
訳者あとがきによると、オコナーは正統派キリスト教徒らしい。だとすると、ヘイゼルは罪を償う運命にあったということになる。しかし、問題はそれほど単純ではなさそうだ。
あとがきには、オコナーのこんな言葉が載っている。

情緒的に満足させてくれる信仰の中で安穏に暮らしている人のことを考えただけでも、私は嫌悪をおぼえる。

この感覚は私にも分かる。しかし、激し過ぎはしないか。