白井京月の読書ノート

2009年から2014年の読書メモ

生きる思想

生きる思想―反=教育/技術/生命

生きる思想―反=教育/技術/生命

「脱学校の社会」「脱病院の社会」で有名な、イバン・イリイチの、80年代以降の論考集である「生きる思想」を読んだ。環境を資源として、人材を資源として見る現代社会の異常さ。ホモ・エコノミクス(合理的経済人)の価値評価システム的な言語を私自身も当然のように用いていることに気がつき自己嫌悪に襲われた。
筆者は途上国の開発に対して格差と貧困を拡大するものとして反対し続けてきた。特に、途上国での学校教育の義務化は多くの挫折感を生むだけだとして強く反対してきた。もちろんアメリカでの義務教育にも反対する立場だ。医療制度にも強い懸念、いや嫌悪感を表明している。産業社会は貧しい者がお金がなくても何とか生活はできる世界を奪った。現代社会は制度への依存を強要し、自律的、自立的な生活を奪ってしまった。経済的に豊かになったとしても、そこにあるのは無力感だ。これをイリイチは、「現代の貧困」と呼ぶ。
いまや、すべてを価値で評価し、それに基づいて意思決定することは常識とされる。しかし、イリイチは言う。いまや倫理学からも「善」という観点が失われたのだと。歴史学者であるイリイチは現代の一般的な世界観が歴史的に見ていかに特殊なものか、そして最悪のものかを痛烈に語る。人間をシステム中で位置付けること、地球をガイアという一つの生命と見ること、環境、生命という言葉の背景にある思想、これらをラディカルに批判する。確かに仰る通りかもしれない。しかし、私たちが生きているのは、この風変りな時代である現代でしかない。いったい私たちに「どう生きろ」と言うのか。
そんな訳で、私はさらにイチイチの本を読み続けた。
生きる意味―「システム」「責任」「生命」への批判

生きる意味―「システム」「責任」「生命」への批判

生きる希望―イバン・イリイチの遺言

生きる希望―イバン・イリイチの遺言

イリイチユダヤ人であり神学者である。もしも彼に反骨精神が無ければ、教会でも相当の地位を得ていただろう。しかし、彼は教会を半ば追放される。かれは現代のキリスト教をも痛烈に批判する。「最善の堕落は最悪」これが現在のローマ教会に対する彼の表現だ。そして、良きにつけ悪しきにつけ、今の世界を築いたのはキリスト教の思想だと断罪する。
「生きる意味」はイリイチ最晩年のインタビューに基づくものだが、彼はここで自らの信仰について初めて語っている。いまここで私が神に生かされている意味を想像しながら行為するという姿勢を崩さないこと。この信仰の持つ緊張感には圧倒させられる。そして、これこそが彼の批判精神を支えていた、とも思うのだ。とはいえ、私が今から洗礼を受けようという気持ちにはならなかったが。
イリイチは健康管理に「糞食らえ」と言う。自らを管理の対象としてどうする。自己管理など最悪だ。行為を価値で決めるなど賤しいこと。生命という歴史の浅い言葉に価値を置くことで人格が略奪される。産業化に加担することはグローバルな貧困と格差の拡大への貢献である。開発ボランティアというのは最悪の思い上がりだ。科学が自然を管理、支配できるというのは、とんでもない幻想である。地球への責任を語る人類は、どこまで思い上がりが強いのだろう。今や人類は地球の管理人になったつもりなのだろうか。地球環境を資源としてしか評価できない連中が。これは権利幻想の裏返しでしかない。ロケットを打ち上げるのに、どれだけの爆薬が必要か知っていますか。宇宙開発など悪魔による最悪の遊びです。
グローバル化と言われる中で、私たちはどっぷりと特異な世界観を押し付けられて行く。自分自身をシステムあるいはサブシステムと認識してしまう。特異な存在であることも、神秘的な存在であることも、消し去られて行く。つまり、生きる理由は失われ、一つの無力な生命となって行く。押し付けは制度化された強固なものだ。教育、経済、医療、福祉、都市・・・。それでもイリイチは、プラグを外して、いまをいきいきと生きよう、と呼びかける。
時代は急速に変化している、70年代、80年代、90年代、00年代、イリイチの目には、どんどんとオゾマシイものが姿を現し、悪化していると映るようだ。人は自分の外側に立つことも出来れば、社会の外側に立って社会を見ることもできる。しかし、いったん外側に出た者は、もはやその社会において異邦人でしかない。私は、もしかしたら仲間=異邦人を求めて、このブログを書いているのかもしれない。

2011年7月11日 追記
実は、イリイチを読んでから、強烈な厭世観、自己嫌悪は約1ケ月続いた。しかし現代をいくら嫌悪しようが、批判しようが、私たちに時代を選ぶことなど出来ない。時代を批判的に見ることも必要だろうが、そんな事で悩むくらいなら、今を楽しんだ方が得に決まっている。どうして、イリイチがこんなに響いてしまったのか。後付の理由などどうでも良い。どちらが得かで何が悪い!!(笑)