白井京月の読書ノート

2009年から2014年の読書メモ

脱構築とプラグマティズム

脱構築とプラグマティズム―来たるべき民主主義 (叢書ウニベルシタス)

脱構築とプラグマティズム―来たるべき民主主義 (叢書ウニベルシタス)

シャンタル・ムフ。1943年ベルギー生まれ。ラディカル・デモクラシーの旗手として知られる政治哲学者だ。この本は、1993年5月29日にパリで行われたシンポジウム「国際哲学カレッジ」(主催:ムフ)に基づくものだ。構成は、以下のようになっている。

1.ムフ 脱構築およびプラグマティズムと民主政治
2.ローティ 脱構築プラグマティズムについての考察
3.クリッチリー (ローティへの質問・批判)
4.ローティ (クリッチリーへの応答)
5.ラクラウ (ローティへの質問・批判)
6.ローティ (ラクラウへの応答)
7.デリダ 脱構築プラグマティズムについての考察

ムフが主張するラディカル・デモクラシーとは、徹底的な多元的民主主義という点においてであり、その目標は合意ではなく、討議による差異の認識であって、調和や和解が民主主義の目標ではないということだ。ムフは、合意が特権化されているところには、民主主義の本性についての重大な誤解があるという。そして、ローティの「方法を持たないプラグマティズム」を評価、支持する一方で、ローティは政治の複雑さに気がついていないと批判する。本書の副題となっている「来たるべき民主主義」というのは、いつまでも来たるべきものとして、決して達成されないものとしてのみあるというデリダの言説を踏まえたものである。
ここで、ローティの(ネオ)プラグマティズムデリダ脱構築について語ることは控えたい。興味のある人は、直接本書を読むべきだろう。中途半端に要約するような本ではなく、中身の濃いものだからだ。
その中で、私が面白いと感じたのはクリッチリーのローティ批判が、逆にローティの独自性・卓越性を引き出していたことだ。もっとも、私はローティのようにユートピアを目指さない。その意味で、私はムフに近いようにも感じた。
いずれにしても、ローティの言うように、現代にのさばっているプラトン的伝統の遺物、すなわち共通の哲学的基礎付けを行って、個人の自立と共同体の公共善の調停が可能だというような形而上学を破棄しなければいけないという点では全員が一致している。しかし、社会はそれほど単純でもない。