白井京月の読書ノート

2009年から2014年の読書メモ

脳科学のパラダイムシフト

ミラーニューロン

ミラーニューロン

ミラーニューロンという言葉は、標準ニューロン(カノニカルニューロン)との対比で用いられる。標準ニューロンは、視覚刺激に反応するニューロンの運動特性に呼応している。これに対し、ミラーニューロンは、自身が運動行為を行ったときと、実験者が運動行為を行ったのを見た時の両方で活性化する。以下、重要な部分なので引用しておこう。

ミラーニューロンの運動特性は、特定の運動行為の間、選択的に発火するという点では、F5野のほかのニューロンとまったく同じだが、両者の視覚特性は著しく異なる。ミラーニューロンは、カノニカルニューロンとは違い、食べ物やほかの立体的な対象物を見たときには発火しないし、発火が視覚刺激の大きさに影響されることもないようだ。じつは、ミラーニューロンが活性化するのは、手や口といった体の一部にかかわる特定の運動行為、つまり対象物への働きかけを観察したときに限られる。(p.96)

これは、1990年代のはじめに、サルを用いて行われた実験によって確認されたことである。これによって、古典的な図式、すなわち「知覚→認知→運動」という図式は崩れ去ったのであり、この点で「ミラーニューロン」の発見は、脳科学パラダイムシフトであったとされる。
では、ミラーニューロンの機能とは何なのだろうか。これには諸説があるのだが、筆者はそれを「運動事象=他者の実行した行為、の意味を理解すること」ではないかと言う。なお、ここで言う理解とは、観察された運動事象を構成する特定のタイプの行為をただちに認識し、他のタイプの行為と区別して、最適な反応を示す能力である。
では、ヒトの場合はどうなのか、と研究は進む。脳の研究方法としては、脳波図(EEG)、磁気脳造影(MEG)、経路蓋磁気刺激法(TMS)、陽電子放射断層撮影法(PET)、機能的磁気共鳴画像法(fMRI)などがあるが、ミラーニューロン系の研究には、PETとfMRIが用いられる。これらの研究結果で興味深いのは、ミラーニューロンにも語彙の違いがあり、種によって、あるいは同じ種の中でも個体によって、誤読が発生するとういことだ。もっとも、それ以上に私たちは、ミラーニューロンによってコミュニケーションをとれているという事実の方が大きい。このコミュニケーションは人間同士だけではなく、他の動物との間でも同じである。共感は錯覚などではなかった。「私を考えるまえに、私たちがいる」というのが、筆者の主張でもである。
本書では、言語についても言及する。そして、あの、スティーヴン・ピンカーの「ある程度の指示性を持った叫び声が大脳皮質の随意的制御化に入ったときに、ヒトの言語進化の歩みが始まった」という説を支持する。ただし、これに対する二つの異議にも触れる。一つは、ヒト以外の霊長類の発生は、もっぱら情動的行動と関係していること。二つ目は、解剖学的に見て、ヒトとそれ以外の霊長類では、使用される神経回路が根本的に異なっているという点である。もっとも、脳科学はまだ幼年期の科学だ。それは遅れているという意味ではまったくなく、歴史が浅く、難解で、深淵であるが故のことだ。ヒトは、もっともっと、ヒトについて知りたいし、生命について知りたいのである。
ミラーニューロンが発見されてから、このメカニズムは色々な学問に影響を与えている。それは、教育学や人類学にとどまらず、社会学や経済学でも用いられようとしている。ただし、実証的な研究であれば良いのだが、ただのアナロジーとして一人歩きし、それがブームになるといった危険性もあるだろう。例えば、貴方のミラーニューロンを活性化させて幸福になろうとか・・・。(笑)まあ、実験する価値はあるのかもしれないが?