白井京月の読書ノート

2009年から2014年の読書メモ

モラリティと想像力の文化史

モラリティと想像力の文化史―進歩のパラドクス

モラリティと想像力の文化史―進歩のパラドクス

イーフー・トゥアン
 1930年生まれの中国系アメリカ人学者だ。専門は人文地理学。私が持っている1991年の初版では、経歴欄にウィスコンシン大学教授と書かれているが、現在については調べていない。「70年代に現象地理学の旗手として颯爽と登場し、今日では、さらに視野をひろげ世界文化史の領域で活躍している。」とある。本書もまた、長い時間軸と地球規模の空間を縦横に走り、古代ギリシャ、中国、仏教、ギリシア等に至るまで深い議論を展開する。

■三つの道徳
 トゥアンは道徳的な人には以下のタイプがあると言う。
  1)自分が属する集団の慣習に従うだけの依存的な人。
  2)自分が属する集団の確立した価値を評価しているが、同時に相互矛盾を見出し、時に疑問を投げかける人。
  3)大きな善のヴィジョンによって動かされる人。
 これは、どのタイプが良いという問題ではない。社会が安定的に機能するには第1のタイプが大多数を占めなければならないし、第3のタイプは善のヴィジョンなどではなく個人的な妄想かもしれない。さて、貴方はどのタイプに属するだろうか。

■近代におけるヒトの道徳的進歩
 トゥアンは過去200年の間にヒトは大きな道徳的な進歩を成し遂げたのだと言う。
 例えば、残忍さという面において、拷問は減少し、奇形の人を見せ物にするような博覧会は行われなくなった。これらは、道徳的感受性の進歩なのだと。
 また、道徳的想像力という点においても、ヒトは大きく進歩した。まず第一に、道徳的関心の領域が全世界的なものとなったことだ。メディアの発達が世界中の人々を隣人にした。第二に上げられるのが、内面性の成長である。心理学用語が頻繁に使われ、私的空間と自己への関心が高まったことをどう評価するかは別として、内面性が言語と道徳的生活を深化させたことは間違いないとトゥアンは言う。

■新しい誘引力
 さて、トゥアンの問題意識はどこにあるのだろうか。それは、道徳との緊張関係を維持するための、人々の「道徳的想像力」の不足ではなかったか。道徳的想像力は、それ自体有益ではあるのだが、それが過度に抽象化され、硬直化するならば、逆に人々の道徳性を低下させる方向に作用する。これこそが、道徳性の持つディレンマでありパラドクスだ。
 エピローグは、こう結ばれている。

善なるものは言葉でいい表すことができない。善なるものは、詳細に述べる内容を欠いているために、非個人的なもの、客観的なものという力を帯びることになる。言葉でいい表すことのできない善なるもののヴィジョンは、その時代の倫理的なディレンマと問題を解決する助けにはならないが、狭量と道徳的停滞に陥るのを防ぐ手段を提供する。われわれが必要としているのは、自由に対してある程度の枠をはめるが、しかし完全に縛ったり、眼を見えなくしたりするようなことのない強い誘引力を持ったものなのである。(p.290)