白井京月の読書ノート

2009年から2014年の読書メモ

現実としての神話

新しい人よ眼ざめよ (講談社文芸文庫)

新しい人よ眼ざめよ (講談社文芸文庫)

世界神話事典 創世神話と英雄伝説 (角川ソフィア文庫)

世界神話事典 創世神話と英雄伝説 (角川ソフィア文庫)

ある読書会で大江健三郎の「新しい人よ眼ざめよ」が課題となったことから読み始めたのだが、そこには不思議な空間があった。この本は、ウィリアム・ブレイクの預言詩をふんだんに引用しながら、障害を持って生まれた息子(イーヨー)との生活を描いた七つの短編集だ。読み進むうちに、この作家は宗教的というよりも神秘主義的な空間を事実として存在させ、日常を世俗なもの7割、霊的なもの3割といった塩梅で日常を送っているのだなと気づいた。多くの宗教者にあっても、神秘主義的、霊的なものはあくまでも観念に過ぎないだろう。しかし、大江の場合には、まるで趣が異なるのである。
こうなると気になるのが、その神秘主義的な空間がどのような種類のものかということだ。それはキリスト教を超えて神話の世界へと繋がる。ネットでいろいろと調べていると、面白い文献に出会った。松村一男の「世界神話学:比較神話学の現状と展望」だ。比較神話学というと文学の領域と思われるかもしれないが、そうではない。そこでは神話の収集と分類から、遺伝子学、化石記録、気候学など最先端の科学を駆使して、人類の起源と歴史の研究が行われているのである。本論文は、他の類人猿が絶滅して現生人類の誕生となる19万年前のアフリカに出現した「イブの遺伝子」(ミトコンドリアDNA)にも言及しているし、1000世代に1回の確率でこのミトコンドリアDNAが点突然変異をみせるという仮説、そしてもちろん大陸の変化と人類の移動についての簡単な説明も添えられている。近代、あるいは哲学は、神話の持つ特権的地位を破壊した。それは、神話をフィクションであると断定する教義だとも言えるだろう。特に王と神々のつながりを示す王権神話は民主主義とは相性が悪い。
もしも、神話がフィクションやメタファではなく事実であるとしたらどうなるのか。私はトランスパーソナル心理学ニューエイジについては行き過ぎた合理主義の反動、カウンターカルチャーに過ぎないと思っているが、今も世界には超越的次元や霊性スピリチュアリティー)を信じる人の方が多いという統計もある。今の日本でも、そういった本は書店に行けばいくらでも置いてある。スピリチュアルがビジネス化したり、陰謀論と結びついたりするのも、よくある話だ。
そこで私は「世界神話辞典」を購入して、少し勉強してみることにした。一番興味を惹くのは「人類の起源」についてだ。神話はテキストとして残される5000年以上前、言語の誕生と共に存在し、受け継がれたとするならば、そこには何らかの事実があるのではないか。ダーウィン的進化論ではなく、比較神話学という視座から人類の起源に思いをめぐらせるというのも重要なことだと思えてくる。
神秘主義的、あるいは霊的というとオカルトだとして嫌悪されることが多いが、皮膚感覚でそういうものに興味を持っている人は少なくない筈だ。大江の場合は、霊的な次元が生活の一部となっている一例だと思う。それが偉大な人物に共通する特性なのか、勘違いなのか、例外的なのかは分からない。ただ、今の私には、そういうものを受け入れることに対する恐怖心がある。もっとも、そう感じている時点で未知の次元を旅しているのかもしれないのだが。