白井京月の読書ノート

2009年から2014年の読書メモ

障害者になるということ

生存学 vol.5

生存学 vol.5

「障害を持ちながら社会で生きること」と「障害者として社会(制度)に支えられて生きること」の大いなる違いが分かるだろうか。前者は労働なり、何なりで一定の社会的役割を果たせる存在だ。それに対して後者は何の役割も持ちえないばかりか、家族あるいは国家からの経済的支援をも必要とする。前者から後者へと立場が変わる時の、本人の葛藤と苦悩を想像して欲しいのだ。とくにそれが、精神障害であるとしたらどうだろうか。おそらく、自らが完全に社会の外側へと行くような感覚を味わうだろう。そして、それは安楽の地なのか、絶望の地なのか。それは、本人にしか分からない。
「生存学」「立岩真也」とくると左翼的な匂いを感じる人もいるかもしれない。しかし、「「生存学」創成拠点−障老病異と共に暮らす世界の創造」は、2011年度まで、文部科学省から年間3000万円の科学研究費を貰っていたプロジェクトだ。まあ、文部科学省が左翼的と思いたい人はそれでも良い。ただ、日本人の意識が、諸先進国に比べて異常に福祉に消極的であり、不寛容だということは統計的に示されている。「左翼」の一言で批判したような気になる人は短絡的に過ぎる人だ。
さて、「生存学」vol.5には、面白い論文が多数掲載されている。アーサー・W・フランクの「生の技法としての自分を持ちこたえること」も良かった。上野千鶴子の「ケアの社会学」もある。そして、私が一番関心を持ったのが、大御所、後藤玲子氏の「統合失調をもつ人の<家族世界>」だ。
後藤は統合失調における家族介護を当然視する風潮を批判する。それがなぜ無理なのかを丁寧に書く。とにかく、精神疾患は外的にも内的にも分かりにくい。この論文には多くのエピソードや患者の日記など、生の情報が密集している。実態を知るならば、人間の尊厳だとか、人権、自己決定といったアメリカンデモクラシーの標語を振りかざす反精神科医療の軽薄さに頭痛がしてくるだろう。
確かに難しい問題だ。
1.人権か、施設の平安か
2.強制治療か、病状を悪化させる自由か
現実は二者択一で割り切れるものではない。個別の問題だ。だからこそ制度設計も難しくなる。
この論文は、統合失調を持つ親にとって必読だと思う。子供をひとつの人格として認めてしまう親の習性が、結果として双方を傷つけて行く。ただし、この論文にあるエピソードを読んで、さらなる恐怖を感じない親はいないだろう。

参考