白井京月の読書ノート

2009年から2014年の読書メモ

キュレーションの時代

「キュレーション」とは、また難しい言葉をタイトルにしたな、と思う。その意味は、本書の説明通りに書くならば「無数の情報の海の中から、自分の価値観や世界観に基づいて情報を拾い上げ、そこに新たな意味を与え、そして多くの人と共有すること」とだ。webが切り拓いた情報革命がどこへ行くのか。筆者は誰もがキュレーションを行い、「つながり」を作って行く時代になっていると指摘する。そして、そこではマスメディアや広告が機能しなくなっているのだと。

本書は「情報社会論」を謳っているが、いろいろなエピソードに筆者の思いが込められていて、読み物としても味わい深いものになっている。アウトサイダー・アートの起源、mixiを用いた情報飢餓戦略にようるマーケティングの成功例、筆者の生きたバブルという時代への思い、音楽産業論、アイデンティティ論(まなざしの囚人論=見田宗介)、利休にみる主客一体「一座建立」の思想。こう並べて行くと、筆者が単に情報革命の技術的な縦糸だけではなく、文化的な横糸にも多くの関心を持っているということが分かる。

マーケティングに関する重要な指摘もある。マスメディアが演出した「記号消費」の時代は終わり、本来の姿である「機能消費」と、新しい「つながり消費」に二分される時代になるのだと。これは経営者が深く考えるべき問題だろう。「機能消費」の世界で戦うことは消耗戦だ。赤い海と呼んでも良い。しかも、従来のようなブランド戦略はいまや通用しないだろう。では、いわゆる「ブルー・オーシャン戦略」を採用するべきなのか。一方で「つながり消費」は有望なのだろうか。ここでの起点は、あくまでも個人だ。それでは、ビッグ・ビジネスになるはずがない。それでは不満だという人も多いに違いない。しかし、そういう人たちは旧来のマーケティングに幻想を抱いているだけなのではないのか。

ひとことで「つながり消費」と言っても、それをどう捉えるかという視点、視座、切り口は多様だ。情報を集め、整理し、掘り下げて、体系化すること。それ以前に、自らがつながりの中に入り体験すること。今も、新しいコミュニティが次々と生まれ、そして消えている。情報革命は、確実に社会を、そして「その時代の持つ固有の気分」を変えてゆく。

その中で鍵を握るのは、コンテンツではなく、キュレーションを行う貴方であり私なのだと筆者、佐々木歳尚氏は読者を持ち上げるのであった。