白井京月の読書ノート

2009年から2014年の読書メモ

七つのダダ宣言とその周辺

七つのダダ宣言とその周辺 (セリ・クレアシォン)

七つのダダ宣言とその周辺 (セリ・クレアシォン)

私は詩を書く。私は詩集を作った。私は詩人かもしれない。しかし、私は「詩」という戦場で戦うことをしない。なぜならば、戦略家の基本として「勝てない土俵で戦うこと」は有り得ないからだ。従って、私の詩人としての名前は今のところ秘密だ。そう、今は勝てないだけで、未来は分からない。そうも思っている。
さて、今回ご紹介する本は、知人の画家から紹介されて購入したものだ。定価6800円、限定600部というこの本をいくらで入手したかは伏せておこう。「芸術はつねに反芸術でなければならない」ダダの一撃は、詩という世界を超えて、政治活動として過激な道を進んで行く。知人の画家は私に何を伝えたかったのか?
彼女はツァラのような左の思想はまったく持ち合わせない、相当に保守的な人だ。それでいながら、この本が一番お気に入りの詩集(戯曲ほかを含む)なのだと言う。これは何となく分かる気がする。星は遠くから眺める分には美しいが、その星に行きたいというものではない。
ダダとは徹底した意味の破壊、虚無とナンセンス、あるいは壮絶な絶叫を伴う活動である。
ここで言う七つのダダ宣言とは、以下の通りだ。
1.アンチピリン氏の宣言(1916)
2.ダダ宣言1918年(1918)
3.気取りなき声明(1919)
4.反哲学者aa氏の宣言(1920)
5.トリスタン・ツァラ(1920)
6.aa氏反哲学者が僕らにおくるこの宣言(1920)
7.弱き恋と苦い恋についてのダダ宣言(1920)
作品は無意味というよりも味わい深い、面白いものだった。ただし、これは私の嗜好と思考が「おかしい」ためなのかもしれない。限定600部という点から考えても、一般受けする本ではないはずだ。
また、この作品を読んでいるうちに、ツァラの生涯、特に政治的活動がどのようなものであったのかが気になるというのは当然のことだろう。私も一応は調べたが、思想的に共鳴する部分はなかった。
歴史に照らして詩を読むこと。「20世紀とダダ」は、一つの大きな物語なのである。