白井京月の読書ノート

2009年から2014年の読書メモ

ぼくらの頭脳の鍛え方

ぼくらの頭脳の鍛え方 (文春新書)

ぼくらの頭脳の鍛え方 (文春新書)

副題には「必読の教養書400冊」とあるが、立花氏自身が「人の意見や、ブックガイドのたぐいに惑わされるな」と言っているので、生真面目にこの400冊を買って読む必要はないだろう。(そんな人いないか?笑)
本書は基本的に、立花隆氏と佐藤優氏の軽めの対談である。しかし、これが実に面白い。両氏の教養に対する情熱、言い換えると世界、歴史、人間の思索、宇宙、自然を理解したいという強烈な欲求が熱気となって伝わってくる。立花氏は教養をこう定義する。

「人間活動全般を含むこの世界の全体像についての知識」
「その人の精神的自己形成に役立つすべてのもの」
現代社会を支えている諸理念の総体」

今、日本では教養が死語になりつつあると両氏は指摘する。そしてこれは、国際社会で通用する人材が不足しているという問題と同義だと。話は大学院のレベルの低下と学歴ロンダリングにまで及ぶ。官僚社会の裏話も面白い。政治家の前で本当に裸になったり、上司が「うまくやれ」とだけ指示をしたり、本にはならなかった部分の話もあるだろうから、両氏の持つ情報がどれだけ面白いか、そして怖ろしいかが良くわかる。
面白いのは、「乃木は名将か愚将か」で両氏の意見が真っ向から対立する点だ。立花氏は最悪の愚将にして、その後の日本の諸悪の根源かの如くこき下ろす。一方で佐藤氏は名将だという主張を譲らない。立花氏はこうも言う。「将功なりて万骨枯るが当たり前。これは日本社会の精神文化の伝統かもしれない」と。佐藤氏は「だいたい部下を殺したことに責任を感じて自決するような情緒的な人に、軍の司令官なんてやってられないですよ」と。話が噛み合わないのが良く分かる。佐藤氏は官僚の立場、視点で語り、立花氏は民間人の心情、立場で語るからだ。
さらに驚いたのは、立花氏が田中角栄氏という権力者を相手にしていた時「ぜんぜん怖くなかった」と語っていることだ。巨人という奴は、どこか抜けていないといけないのかもしれない。それとも、ある種の悟りの境地に達しているのだろうか。
対談での話題は、宗教、哲学、歴史、政治がメインだ。両氏の厚みのある宗教観、宇宙観にも触れることが出来る。「知の巨人」(立花隆氏)と「知の怪物」(佐藤優氏)の気概は、この本の読者の向学心に火をつけるに違いない。自らが、巨人や怪物を目指そうという人は少ないだろうが、巨人と怪物を知る上では読みやすい好著だと言えよう。