白井京月の読書ノート

2009年から2014年の読書メモ

それでも、日本人は「戦争」を選んだ

それでも、日本人は「戦争」を選んだ

それでも、日本人は「戦争」を選んだ

本書は、東京大学文学部教授の加藤陽子氏が、栄光学園の歴史研究部中心のメンバーに行った特別講義を書き下ろしたものだ。章建ては下記の通りである。

序章 日本近現代史を考える
1章 日清戦争  「侵略・被侵略」では見えてこないもの
2章 日露戦争  朝鮮か満州か、それが問題
3章 第一次世界大戦  日本が抱いた主観的な挫折
4章 満州事変と日中戦争  日本切腹、中国介錯
5章 太平洋戦争  戦死者の死に場所を教えられなかった国 

E.H.カーという歴史家の残した言葉に「歴史とは現在と過去との間の尽きることを知らぬ対話」という言葉があるらしい。本書はまさに歴史を知るための講義ではなく、歴史を考え、歴史と対話するための講義であり、普通の教科書にはない圧倒的なリアリティがある。日本が遅れながらも近代国家となることが出来たのはなぜなのか。各時代のエリート達は何を考えていたのか。本書では戦争に至るまでの各国の駆け引きなどが史実から導き出されるなど、レベルの高い内容を扱っている。
日中戦争における胡適の策謀(本書を読んでください)にも驚かされたが、何よりも興味深かったのが第一次世界大戦後の「日本の危機感」だ。世界全体では、約1000万人の戦死者を出した第一次世界大戦における日本人の戦死傷者は1250人とされる。日露戦争での戦死者が8万4千人。そう考えると、社会変革の圧力は少なくて良いはずなのだが、現実は異なった。国内で多くの「国家改造論」が登場し、普通選挙、身分的差別の撤廃、官僚外交の打破、民本的政治組織の樹立、労働組合の公認、国民生活の保障、税制の社会的変革、形式教育の解散、新領土・朝鮮、台湾、南洋諸島統治の刷新、宮内省の粛清、既成政党の改造(p.208)などが取り上げられる。
筆者、加藤氏はこの危機感を以下の三つの要因で説明する。
 1.激しい政府批判が社会に巻き起こった。
 2.パリ講和条約での中国とアメリカからの対日批判に衝撃を受けた。
 3.日本統治下の朝鮮で三・一独立運動パリ講和会議の最中に起きた。
世界の中で生き残れる国家であり得るのかどうか。それが深刻な問題だったのだ。
翻って、現在はどうだろう。グローバル化した世界の中で日本は明らかに出遅れている。さらに国内では少子高齢化が進み若年層の失業や相対的貧困が構造的な大問題となっている。しかし、にもかかわらず、政治にも、市民にも、メディアにも危機感が薄いように感じらるのは何故だろう。いずれ景気が回復するなどと本気で思っているのだろうか?
グローバル化した現代においては労働力もまた国境を越えて流動化する。それが、どのような社会的、文化的、経済的な影響を及ぼすかは予測のつくことだ。今ほど「変わらなければ国が亡びる」という危機感が必要な時は無いだろう。若年層にとって魅力のある日本でなければ、明日は無いのだから。