白井京月の読書ノート

2009年から2014年の読書メモ

ボランティア もうひとつの情報社会

ボランティア―もうひとつの情報社会 (岩波新書)

ボランティア―もうひとつの情報社会 (岩波新書)

本書は、インターネットが登場する前の1992年の本だが、情報化社会、情報化経済に関する洞察の深さと鋭い切り口は、現時点でも大きな示唆を与えてくれる。筆者の金子郁容氏は、元慶應義塾幼稚舎舎長であり、現在は湘南SFCの教授だ。ボランティア(自発的)というコンセプトを発展させた「ボタンタリー経済の誕生 自発する経済とコミュニティ」(1998)にも研究会メンバーの一人として、松岡正剛氏、下河辺純氏らとともに参画している。もっとも、この本は経済理論をあまりに都合良く我田引水で引っ張ってきた「なんちゃって本」という印象が強かった。
本書の目的自体が「ボランティアとは何か」を、経済的、社会的、精神的な面から問う内容なので、その答えをまとめるわけには行かない。情報化と経済という観点からは、「希少性」と「所有権」の問題が取り上げられる。「つまり、情報は、「所有することが価値の源泉である」という従来の経済的価値観についても、根本的な見直しを迫っているのである。(P.203)」なにげない一文だが、その意味するところは衝撃的だ。所有から関係へというパラダイム・シフト、経済の新しいルール、土俵を感じさせるものであり、従来の経済学に、根本的な変革を要請するものでもあるからだ。
今回、この本を読み返して、私はもう一つの重要な部分に気がついた。それが、タイトルにした「精神的報酬と経済的報酬」だ。経済学の祖、アリストテレスの「ニコマコス倫理学」においても、見返りを期待しない行為についての論述がある。アリストテレスの、見返りを期待しない行為は、経済的報酬のない行為=ボランティアに置き換えることも出来るだろう。言い換えれば、それは精神的報酬を得る行為だ。一方には見返りを期待する行為がある。これを経済的報酬を得る行為と呼ぼう。そして、近代の主流経済学は、この精神的報酬を無視して、経済的報酬に関する合理的な理論の形成へと傾いて行く。これを批判し、カール・ポランニーは経済関係の中に埋没してしまった社会を「意味のある全体」としての本来の姿に戻したいと主張する。以下、重要な点を孫引きしよう。

 人間は経済的存在ではなく、社会的存在である、といったアリストテレスは正しかった。人間の目的は、物質的財産の獲得という形で個人的利益を守ることにあるのではなく、むしろ社会的名誉、社会的地位、社会的財産を確保するということにあるのであろう。財産は何よりもまず、このような目的を得る手段として評価されるのである。人間の持つ誘因は「混合的」な性格なものであって、これは社会的承認を得ようとする努力が伴うものである。生産の努力はこの努力に付随するものに過ぎないのである。つまり、人間の経済は原則として社会関係のなかに埋没しているのである。こうした社会から、逆に経済システムの中に埋没している社会への転換というのは、まったく新奇な事態であったのである。(P.184)

ポランニーの観点からすると、現在注目を集めている、行動経済学進化経済学は今後より学際的に発展し、新たな視座、新しいパラダイムを生む可能性を秘めているように思われる。今起こっていることは、経済学の中心と辺境の逆転だとも思えるのだ。
振り返って、個人的な「経済の物語」に視点を移すと、私たちの行動が、精神的報酬を過少評価しているように思えてくる。もちろん経済的な報酬も重要だ。問題は、そのバランスにあるのだろう。本質的に、仕事は労働とは異なり、経済的報酬と精神的報酬を同時に満たしてくれる。くどく言うと、精神的報酬が与えられないのであれば、それは仕事ではなく労働だ。
ボランティアは、献身や慈善あるいは偽善というイメージを超えて、新しい時代のキーワードだ。古典に属する本書は「必読」と言えるだろう。