白井京月の読書ノート

2009年から2014年の読書メモ

近代経済学の史的展開

リーマン・ショック以降の世界経済について論じる前に、1929年の大恐慌以降の展開を総括しておくことは重要なことだろう。そんな訳で取り出したのが本書、宮崎義一の「近代経済学の史的展開」だ。1967年という大変古い本だというのも魅力である。当時の経済学そして世界経済の様子が生々しく写し出されているからだ。本書は、以下の2部構成になっている。
 第1部 「ケインズ革命」前後の資本主義経済像
 第2部 戦後資本主義の形態変化と経済像

本書を通読して思うことは「経済学は進歩したのか?」ということだ。かつての経済学者にはビジョンがあり、世界観があった。それが今や、単なる技術論に堕してはいないだろうか。そこで、本書で示される問題意識をベースにして、今後数回は、経済学関連の書籍についての書評を集中的に書いてみることにしたい。
経済学は下図のような領域を横断する複雑な学問である。経済思想に先行して経済理論があり得るのか否か。経済学が非イデオロギー的であり得るのか否か。考えるまでもあるまい。

さて、せっかくなので、本書の中で登場するハロッドの停滞論について引用して、今日の書評は終わりにしたい。ハロッドは発展的経済の3つの基本要因を、1.人口(独立変数)、2.技術(独立変数)、3資本量(従属変数)として理論を展開し、以下のような結論を導き出す。

技術的進歩の速度が人口増加の速度をこえる場合、すなわち貯蓄の供給がその需要を超過している場合には、供給される貯蓄の少なくとも一部分は、生産力の増進に用いられずに、貨幣の形で保有されることになる。したがって、貨幣の携帯で保有されないで生産力の増進のために投下される資本支出分は、もちろん完全雇用をもたらすのに必要な資本支出額に不足することになり、慢性的な不完全雇用状態が成立する。このように人口が鈍化し、技術的進歩のテンポがそれを上まわるのは、資本主義の老衰期によく見られる現象で、ケインズ派理論の基礎に想定されている状態であるといってよい。