白井京月の読書ノート

2009年から2014年の読書メモ

「世界征服」は可能か?

「世界征服」は可能か? (ちくまプリマー新書)

「世界征服」は可能か? (ちくまプリマー新書)

岡田斗司夫氏。「おたく」の教祖にして現在は大学教授だ。あるいは、今では「ダイエットの成功者」(レコーディングダイエット)としての方が有名なのだろうか? 私は、おたくではないが、昔から氏のファンだった。論理的な思考と穏やかそうなルックスが良かったのだが、ルックスはいまや別人である。まあ、そんな事は本書とは関係がないが。
それにしても、この『「世界征服」は可能か?』というタイトルは、どういう顧客を想定してつけたのだろうか。いまどき、世界征服を目論む人が、それほどにいるとも思えない。刺激的なタイトルではあるが、きっと、岡田氏の本は必ず買うという層を対象にしたメッセージ本なのだと私は想定している。真のメッセージは、本書で示される世界征服の4区分、魔王タイプ、独裁者タイプ、王様タイプ、黒幕タイプの分析にあるのではない。重要なのは、それらを踏まえて「真の悪」とは何かを示すことにあったのではなかろうか。その意味で、本書は岡田氏のひとつの時代認識(2006−2007)であり、危機感の表れなのだと感じた。
彼は本書の最後で、悪を逆説的に用いる。つまり、現代の価値や秩序基準を破壊するものを悪だと定義する。そして、現代の価値・秩序基準を「自由主義経済」と「情報の自由化」だと端的に示す。前者は「強者を肯定し、弱者を軽蔑する理論」だと批判する。後者に対しては「個人から、信念や価値観、考える力を奪うものだ」と断言する。もちろん、批判は表面的なものではない。それでこそ、この本に価値があるのであり、反論するには本書を読むことが必須となる。本書は、現状を否定し、批判的に現状をより良くしようとすることを「悪」と呼ぶ。そして、当然ながら悪を勧める本なのだ。
私はと言えば、自由主義経済を支持するし、情報の自由化には賛成だ。ただ何事も行過ぎると反対物に転化するということを知らなければいけない。また、技術の持つ負の側面、あるいは危険性にも目を向けなければならない。すべての物事には光と影があるものだ。「とにかく現状批判ありき」という姿勢もまた、反知性的な態度なのだと思う。
岡田氏の著作は哲学で貫かれている。問題は、その思いが、どれだけの読者に正しく伝わったかだと言えよう。