白井京月の読書ノート

2009年から2014年の読書メモ

遊びと人間

遊びと人間 (講談社学術文庫)

遊びと人間 (講談社学術文庫)

ロジェ・カイヨウ(1913−1978)。20世紀を代表する知性の一人とされる。今回紹介する本は、あまりにも有名なので、読んでいる方も多いだろう。こういう本の書評は書き辛い。かといって、是非一読して、彼の広範な知識と見事な洞察そして美しい文章に魅了されてください、だけでは短すぎる。普通に行こう。
カイヨウは、遊びを以下の4つに分類する。
1.アゴン(競争)
  文化的形式・・・スポーツ
  制度的形態・・・企業間の競争、試験、コンクール
2.アレア(運)
  文化的形式・・・宝くじ、カジノ等
  制度的形態・・・株式投機
3.ミミクリ(模擬)
  文化的形式・・・カーニヴァル、演劇、映画、スター崇拝
  制度的形態・・・制服、礼儀作法、儀式等
4.イリンクス(眩暈)
  文化的形式・・・登山、スキー、空中サーカス、スピードの陶酔
  制度的形式・・・眩暈の統御を見せる職業
※参照P.106の表。それぞれの堕落については敢えて省略した。
これらに関する洞察を踏まえて、カイヨウは一つの結論に至る。「いわゆる文明への道とは、イリンクスとミミクリの組み合わせの優位をすこしずつ除去し、代わってアゴン=アレアの対、すなわち競争と運の対を社会関係において上位におくことであると言ってもよかろう。(P.166)」もちろん、ミミクリとイリンクスが不要だと言っているのではない。むしろ文明の中での、これらの遊びの関係、優位性、対立関係がどのような状況を招くのかが本書における論考のテーマなのだ。彼は、より良い文明についての思索を進める。稔り豊かな、つまり、優雅で自由で創意が伸長されるような文明についての思索だ。目指すものは、均衡であり、解脱であり、イロニーなのである。これは、彼の基本的な価値観ないし好みだと言っても良いだろう。模擬と眩暈の連合は強力である。そこで彼は「道化」の役割に注目する。そして、道化による笑いこそが、失神と催眠状態の解毒罪になるのだと結論する。
簡単にまとめてしまったが、彼の本領は歴史的、文化的な事実からの考察であり、それには本書を読んでいただくしかない。
本書をどう読むか、またそれをどう捉えるかは読者の自由である。もちろん、読まない自由もある。ただ、国際的に見れば、本書は教養人なら最低限読んでいる本に数えられるはずだ。最後に、私の好きな一節を引用して短い書評の終わりに変えよう。

時、われに利あらずとして敗北を甘受すること、勝利におごり酔い痴れないこと、このような一歩退いた態度、自分に対する自制で最後を飾ること、これが遊びの法なのだ。現実を遊びと心得ること、吝嗇や羨望や憎悪をたじろがせる鷹揚な態度が一歩一歩地点を占めてゆくこと、これが文明の振舞いというものだ。(P.27)