白井京月の読書ノート

2009年から2014年の読書メモ

脳とクオリア

脳とクオリア―なぜ脳に心が生まれるのか

脳とクオリア―なぜ脳に心が生まれるのか

今やすっかり売れっ子タレントとなった、脳科学研究者茂木健一郎氏のデビュー作である。本書以降の著作は、どれも人生哲学風の似たようなものであり、脳科学の本と言えるのは本書だけではなかろうか。それが悪いということではない。氏は別の著作でも述べている通り、現在の脳科学の方法論に限界を感じて、脳科学を捨てた研究者のように思われる。ただ、脳科学と人生哲学は分けて考えないとおかしなことになる。つまり、脳科学から(真理としての、あるおは合理的な)人生哲学が導き出されるというものではなかろう。
本書での筆者の最大の問題意識は「自由意志と自然法則の関係」にあった。「クオリア」という概念は、いわば脳科学の限界を示すものであり、読者を惹きつけ、のせるための導入に過ぎない。クオリア脳科学的には何も意味していないからだ。その意味で、第1章から第9章までは第10章「私は『自由』なのか?」における考察のための前提となる知識の確認であり、この第10章こそが、茂木氏の問題提起なのだ。そして、その内容は、私にも少なからずショックを与えた。

 すなわち、相対論的な時空の概念に基づくと、時空は過去から未来へ「流れる」のではなく、最初からそこに「存在する」。(p.286)

つまり、科学的には自由意思など存在しないのだと。専門的に書けば「ニューロンの時間発展を支配している自然法則が決定論的であるならば、自由意思は存在しないと言える。」茂木氏は以下のように書いている。

現時点で、私たちは、人間機械論の前提を疑うような合理的な証拠を持っていない。私たちの心が、私たちの意志決定のプロセスが、世界の中で自然法則に従わない特別な理由があるということを示す証拠は一つもない。つまり、心も、意志決定のプロセスも、自然法則の一部と見なさなければならないということなのである。第5章で述べた「クオリアの先験的決定の原理」は、このような考え方を最も先鋭的に表現したものだ。(p.284)

しかし、この考え方に、ハイそうですねと首肯したのでは悲しいし、本にはならない。そこで登場するのが「量子力学」である。量子力学の非決定性をアンサンブル・レベルの決定論とみなし、自由意志もまた、アンサンブル限定のついたものであると主張する。それは「限定」である以上、<<自由意志は存在しない>>と茂木氏は結論する。さらに、相対論的な時空観に問題があると述べるのである。つまりは、新しい理論に基づく時空観が必要なのだと。そんな問題意識に取り憑かれたが故に、茂木氏は脳科学の研究が出来なくなったのだろうか?
なお、本書刊行時の茂木氏の肩書は、ソニーコンピュータサイエンス研究所リサーチャー。東京大学理学部物理学科卒の理学博士。