白井京月の読書ノート

2009年から2014年の読書メモ

1Q84/村上春樹

1Q84 BOOK 1

1Q84 BOOK 1

1Q84 BOOK 2

1Q84 BOOK 2

村上春樹のベストセラーなど読んでみた。本を買ったわけではない。偶然に、ある女性から借りただけだ。舞台は、1984年ではなく、1Q84年の日本である。青豆(30歳女性)を主人公とするストーリーと、天吾(30歳男性)を主人公とするストーリー。この二つが、微妙に接近しながら、同時平行で進んで行く。殺人、セックス、ドメスティック・バイオレンス、文壇、カルト、事件、音楽、歴史。一流の描写は実に精緻で、鮮明だ。

1Q84年。その時、現実は虚構よりもルナティックなものとなり、日常はエンターテイメントと化した。1984年も、1Q84年も、そういった転換点という意味で同じである。今、空には月が二つあると明言して、誰がそれを否定するだろうか? それを否定すると、夢がないと叱られて、白い眼で見られるに決まっている。

ジョージ・オーウェルの「一九八四年」では、独裁者、ビッグ・ブラーザーが強力な監視社会を作ったが、現実の1Q84年に登場したのは、「空気さなぎ」というアイコンと「リトル・ピープル」という<<力>>だった。この二つが、この小説の核心であり<<謎>>そのものだ。

まったく私的な解釈だが、この<<謎>>は、小説の中で少しだけ書かれている通り、個人化した宗教の社会学と言えないだろうか。そこに働く精神と社会の歪みこそが、1Q84の<<Q>>=クエッションなのだと。さらに言えば、この状況は極めて日本的であるとともに、思想史的に見て先進的なものなのだと。

いまや私たちはルナティックな現実に驚くことすら無くなった。狂気は、もはや狂気ではなくなってしまったのだ。多くの読者は、主人公青豆の殺人の中に「美」や「正義」や「自分自身」を見出すのだろう。

文学は、正確に現実を映している。