白井京月の読書ノート

2009年から2014年の読書メモ

「私」を生きるための言葉

「私」を生きるための言葉 日本語と個人主義

「私」を生きるための言葉 日本語と個人主義

筆者は現役の精神科医である。それも、今どき薬物療法を用いないというスタイルでだ。私が筆者を知ったのは、ダイヤモンド・オンライン(web)の『「うつ」にまつわる24の誤解』というコラムによってだ。実に深く、明晰で、面白いと思った。

さて、本書のテーマは、精神科医療に特化したものではない。むしろ社会的なものだ。

筆者はまず、「大衆人=0人称=世間」、と、「個人=1人称=社会」を対比する。ここまでの議論は、阿部謹也夏目漱石オルテガ森有正等を読んでいる読者にはやや退屈かもしれない。もっとも、阿部謹也は日本人に世間で生きることを勧めたわけだが、筆者は1人称で生きることを強く主張する。

さらに、1人称の成熟した形として、「超越的0人称」という独自の用語を用いる。これは、漱石の「則天去私」に近い概念だ。

筆者の見解は、もはや「世間という0人称」では、グローバル化の時代には通用しないという事である。ここからは、私の推測だが、筆者は心の病を0.5人称の状態と捉えている。現在の精神科医療の主流は、それを0人称の世界に押し戻すことのようだが、筆者は1人称への脱皮を促すのである。もっとも、私には大多数が1人称であるような世界は想像できないし、欧米ですら完全な1人称の世界であるとは思えないのだが。

なお、副題は「日本語と個人主義」となっている。注目の論客であり、次作が期待される。