「私の個人主義」
- 作者: 夏目漱石
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 1978/08/08
- メディア: 文庫
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夏目漱石の学習院での講演「私の個人主義」が、どの程度に有名で、どの程度に読まれているのかは、怠慢にして調査していないのですが、なかなかに泣けます。そして頷ける講演です。この講演は、前半の情で泣き、後半の理で主張するという形式のように思われます。ここでは後半の理の一部を<メモ>として記録しておきます。
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第一に自己の個性の発展を仕遂げようと思うならば、同時に他人の個性も尊重しなければならないという事。
第二に自己の所有している権力を使用するならば、それに付随している義務というものを心得なければならないという事。
第三に自己の金力を示そうと願うなら、それに伴う責任を重んじなければならないということ。
★政官財のトップに配りたいですな.
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これを外の言葉で言い直すと、いやしくも倫理的に、ある程度の修養を積んだ人でなければ、個性を発展させる価値もなし、権力を使う価値もなし、また金力を使う価値もないということになるのです。
★倫理的な修養・・・何か古い言葉のように聞こえてしまいます。
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要するに義務心を持っていない自由は本当の自由ではないと考えます。
★最大の義務心とは自らの倫理観(道徳心)に忠実であることでしょう。
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(個人主義は)もっと解り易くいえば、党派心がなく理非がある主義なのです。朋党を結び団体を作って、権力や金力のために盲動しないという事なのです。
★まったく同感。そうありたいあものです。
・・・企業という組織に属していても盲動はいけない・・・
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誠に腑に落ちる、そして慎重に言葉を選んだ講演でした。
ついでと言っては何ですが、前半の泣ける話にも言及しておきます。
漱石は教職につき文部省からイギリスに留学したにも関わらず、それらが自らのこの世に生まれた意味だと感じられずにいました。この感覚は今の私にもあるのですが、この思いが普遍なのか特殊なのかは、私にはわかりません。
漱石は聴衆を前に、この思いから逃げることなく自らの道を求め続けよと説きます。それなくして幸福はあり得ないのだと説きます。
もしかしたら、「個人主義」という思想が、そのような一種の強迫観念を招くものなのかもしれません。漱石は神経衰弱(当時の診断名)を患っていたのですが、それもまた「個人主義」に起因したものなのでしょうか?
ただ、私には漱石の発話が浸み込むように理解できます。私もまた、個人主義者です。
漱石はこの講演の翌年、49歳で亡くなりました。
★私は、88歳までは生きたいと思ます。(笑)